chapter.1 29歳のクリスマス(2)

←――――時間は、人生で一番最悪なクリスマスの朝を迎えた日より、数日前へと遡る。

私が生まれ育った町は、兎町(うさぎちょう)。
急行も止まらない様な小さな駅『兎町』の東口の改札をくぐると、兎町商店街がある。戦後にこの辺りで屋台の店が連なったのがこの商店街の始まりとされていて長く古い歴史を持つ商店街だった。
この商店街にくればなんでも揃うと言われていたほど有名な商店街だったが、ここ最近は不況の波がこの商店街まで押し寄せてきて、長く続いた店を閉めている店舗もそう少なくはない。
それでも駅前にあるという便利さから、今でもそれなりに栄えているのも事実である。午前中は商店街近くにある市営住宅に住んでいる年配客が日課のように商店街に足を運び、午後になると近辺の中学校や高校に通っている生徒たちが商店街の中を通り活気づく。

賑やかな商店街の中心部に位置する場所にあるのが、洋食屋『Peter(ピーター)』で、私の実家。
祖父の代から続いている洋食屋で、デミグラスソースの匂いが染みついているような店には、この近辺に住んでいる人たちはもちろん、西口方面で働いているサラリーマンやOLの方も足を伸ばしてきてくれる。それぐらい美味しいと評判の店だった。
それなのに娘の私は、デミグラスソースが苦手。ハンバーグやオムライス、海老フライ、グラタンと言った洋食よりも和食が好きだし、コーンスープやオニオンスープよりもお味噌汁の方が美味しく感じる。
苦手なデミグラスソースの匂いが染みついているような店に顔を出すことはあまりないが、12月が少し過ぎようとする頃。母親から呼び出された。
ランチタイム営業の時間が終わってからの休憩時間に店に顔を出すように言われて、お店の裏側にある自宅から店へ行くと、両親と店を手伝っている兄夫婦が揃っていた。
4人がけのテーブル席に両親が横並びで座り、両親から面接でも受けるかのようにテーブルを挟んだ席に座らされた。
兄夫婦は、カウンターの中から私たちの様子を伺っている。

「空気重くない?」

しんとして静かな空気を裂くように私は言った。
するとお母さんは、軽く咳払いした後に、「葉那。あんた、今、付き合ってる人はいるの?」と聞いてきた。

「は?なに?行き成り……」
「恋人はいるのかって聞いてるの」

お母さんからの質問の趣旨がわからない中、カウンターの中からお兄ちゃんが、「恋人がいたら、毎日家にいるわけねぇじゃん」と口を挟む。

「うるさいなぁ」
「いるの?いないの?どっち」

お母さんの顔を数秒見た後に、「いないわよ」と答え、「なに?それがなんなの?」と続けた。

「修司くんとは、そういう関係じゃないのか?」

と、今まで口を開かなかったお父さんが言う。

「は?修司?なんで修司?」
「おまえらよく一緒にいるじゃないか。付き合っているからじゃないのか」
「まさか。冗談やめてよ」

そう言ったら、お兄ちゃんが、「え?おまえら、マジでなんもないの?」と驚きながら言う。

「あるわけないじゃん。修司と恋愛なんてありえない」
「あたし、お二人は付き合っているものだと思ってました……」

と、私より年下の兄嫁の真由果(まゆか)ちゃんは言う。

「残念だけど、修司は昔から恋愛対象外」
「それじゃあ―――問題ないわね」

お母さんはそう言うと、机の下から少し大きめの封筒を出してきて、私の目の前に置いた。

「なに、これ」
「矢萩さんが持って来たのよ。あなたに、って」

封筒の中身を取り出したら、1枚の写真と手紙が入っていた。
写真には、真面目そうで好青年らしい雰囲気がするスーツ姿の男性が一人写っていて、手紙には男性のプロフィールらしきものが書いてあった。

「え?ちょっ、ちょっと待ってよ……、これって……つまり……」

そこから先の言葉に詰まると、お兄ちゃんが、「見合いだな」と言った。

「ちょ、ちょっとやめてよ。お見合いなんてしないから」

と、言って、写真と手紙を目の前にいるお母さんへ付き返した。

「そんな堅ぐるしいものじゃないのよ。ちょっと会ってみるだけの軽いものなのよ」
「いやいやいや、それでもさ、見合いは見合いでしょ?」
「ホント良い人なのよ。公務員で経済的にも安定だし、次男だし、歳だってあなたと変わらない33歳」
「良い人って……、ただ親受けが良いだけじゃない」

私がそう言うと、お母さんは、「葉那」と怒るような口調で私の名前を呼び、「あなた、来年30歳になるのよ?恋人もいない。唯一近くにいる男性は、修司くんだけじゃない」と言う。

「それの何がダメなのよ」
「あなたが外に出てお勤めしているなら、うるさく言わないわよ。でも、あなたの仕事は1日家に籠って絵を描いているだけじゃない。それのどこに出会いがあるっていうの?いくら仕事が順調に出来ていても、このままだと本当に嫁の貰い手がなくなるわよ」
「そんなのわかんないじゃない」
「あなたの毎日の生活態度を見ていたらわかります」

現に今、嫁の貰い手がないだけに何も言い返せない。

「あなたが修司くんと結婚するならそれでも構わないけど、そういう関係にもならないんだったら、会うだけでも会ってみたらどう?」
「っていうか、そもそも結婚なんて焦ってませんから」
「そんなこと言ってると、婚期逃すわよ。子どもだって産めなくなるわよ」
「その時はその時でしょ」

私とお母さんがいがみ合っている中、「―――とにかく、結婚云々は置いといて。会うだけでも会ってみたらどうだ?」と、お父さんが口を開く。

「お父さんまで、やめてよ」
「出会いなんてどこに転がっているかわからないだろ。もしかしたら、これがきっかけで良いご縁になるかもしれないだろ」
「そうよ。会うだけ会いなさい」

お母さんはそう言って、付き返した写真と手紙をまた私の目の前に置いた。
写真をもう一度手に取り、じっくりと写真を眺める。

「――――お母さんたちの気持ちはわかった。でもね、この人には悪いけど、まったく好みのタイプじゃない」
「外見で決めるのやめなさい」
「それでもある程度外見は大事でしょ」
「そんなことばっかり言ってるから、恋人が出来ないのよ。いくら外見がよくても経済力がなかったら、結婚生活なんて上手く行かないのよ?」
「それでも好みじゃない男とエッチして、子どもなんか作れないわよ」

ヒートアップする私とお母さんの会話にお父さんが呆れたを顔をしながら、「二人共、いい加減にしなさい」と静かに怒る。
その言葉で空気が再び重くなり、静かな時間が流れた。

「――――わかりました」

と、重々しい空気を裂くように、お母さんは口を開き、「今年中に彼氏が出来なかったら、お見合いしなさい」と言う。

「はぁ?!何言ってんの?」
「さっき、お父さんも言ってたでしょ?もしかしたら、これが良いご縁になるかもしれないって」
「いや、でもさ――」

お母さんは私の言葉を止めるように、テーブルの上をバンッ!と思いっきり叩いた。

「これは、絶対命令です!」

久しぶりに見た鬼の形相のような怖い顔して私を見ているお母さんに、29歳の私は言い返すことが出来なかった。