Chapter.5 逆らえない運命

とりたてて大きなニュースがなかったためか、連日テレビで私たちのことが取りあげられた。嘘と憶測がテレビや週刊誌で飛び交い真実は本人たちにしかわからない。恭介のファンがこれを見て信じているのかと思うと、本当に心が痛む。あの時、恭介が怒りを露わにしていたのは、恭介のファンが私を怪我させたというのは事実かどうかを恭介に聞こうとしたらしいが、何も知らされていなかった恭介がそれに逆上したようだった。この騒動の翌日に私の怪我のことは、恭介の事務所を通して私自身が転んだことであってファンは一切関係ないことを主張したコメントを発表してくれたため、その後は大きく発展することなく騒動に終止符が打たれた。
しかし、恭介の行動は『アイドルらしからぬ行動』として一部で叩かれていたが、世間からは同情の目も多かったのが救いだった。それでも、ファンの間では動揺は隠せず賛否両論あり、離れるファンもいればこれからの活躍と私たちを応援してくれているファンもいる。と、スターダストセブンの担当マネージャーである小早川さんが報告してくれた。
恭介が所属しているHBプロダクションの事務所に呼び出されたのはあの騒動から5日後のことだった。小早川さんには今まで何度か会ったことはあったが、こうやって向かい合わせに座り二人で話をするのはこれが初めてで、一連の謝罪とマスコミを避けるために恭介が今ホテルにいることを教えてくれて、さらに、恭介がしばらく芸能活動を自粛すると重く口を開いた。

「活動を自粛するのはこの騒動のペナルティってのもあるんですが……実はこれを機会に朝比奈には改めて考えてほしいことがあり、それに要する時間と考えております」
「考える時間ですか……?」
「山田さんはご存知でしたか?朝比奈が引退したがっていた事を……」
「……え?」
「ご存じありませんでしたか。実は……夏頃から芸能界を辞めたい。と度々申し出ておりました。その理由を聞いたら、なんでも普通の人になって普通に働きたいと言っており、私はその言葉の後ろにあなたとの結婚があるんじゃないかと思っていたのですが……」
「…………」

思わず言葉を失ってしまった。
寝耳に水のことで、恭介がそんなことを考えていたなんて思いもよらなかった。

「結婚の話はお二人の間であったのでしょうか?」
「……一度だけ」
「そうですか。まぁ、10年もお付き合いしていたらそういうお話が出てくるのは自然なことだと思います。ただ、引退して結婚―――となると、こちらとしても手放しで喜べる話でもありませんし、首を縦に振ることは現時点では出来ません」
「はい……それはもちろんわかっております」
「朝比奈は今のスターダストセブンを背負っていると言ってもおかしくない男です。個人の仕事も去年に比べて増えてきて、グループ活動はもちろん、個人活動もこれからもっと伸びてくると思っています。しかし、先ほども言ったように、本人が引退を望んでいます。そのせいか、仕事に意力がない。ただ淡々と仕事をこなしているのが現状です。おまけにここ最近ではファンやメンバーに深く関わろうとしない。あまり大きい声で言えませんが、ここ最近の朝比奈とメンバーとの仲は良好とは言い難いです」
「…………」

メンバーとの仲は、この間の電話の件で思い当ることがあった。
あの時の恭介は、明らかにおかしかった。

「朝比奈にはこの世界でやっていけるほどの実力と才能があると思っています。朝比奈さえやる気になってくれれば、今よりもっと知名度も上がるとも思っています」
「はい……・」
「そのやる気を抑えている原因はなんだかわかりますか?」
「…………」

私は視線を小早川さんから外した。

「あなたの存在が何よりも大きい。その証拠に今回の騒動が全てを物語っています。朝比奈はあなたを傷つけたと思っているファンへ怒りを露わにした。絶対やってはいけないことをやってしまったんです」
「…………」
「僕はこんなことで朝比奈の才能を無駄にしたくありません。真剣に仕事に向き合ってほしいと願っています」
「……はい」

小早川さんは少し間を開けた後、頭を下げて口を開く。

「山田さん…………これからの朝比奈のことを思って、身を引いて頂けませんか?身勝手なことを言ってるのは重々承知の上です。お二人のことをずっと見てきて、山田さんが朝比奈のことを思って色々最善を尽くしてくれていたのは本当に心より感謝しております。しかし、このままでは本当に朝比奈がここで終わってしまいます。山田さんも僕と同じことを考えているのなら、この我儘を聞きいれて頂けないでしょうか?お願いします」

小早川さんは深く頭を下げた。

小早川さんの言うとおり、たしかに昔に比べて恭介のやる気のなさは目に見えていた。表面上では仕事をそつなくこなしているようだったけれど、昔の様なやる気は間近で見ていて伺えなかった。私とのことも昔はバレない様に会うことも警戒するほどだったのに、最近では時間が出来るとふらっと図書館へとやってくる始末。おまけに堂々と交際宣言までした。恭介は「嘘をつくのが嫌だから」と言っていたけど、本当はお母さんが言っていたことを考えていたのだろうか……?それとも、交際宣言して人気が落ちたら、誰にも文句言われずに引退できる―――とでも思っていたのだろうか?
恭介が引退したがっている理由が、もし、小早川さんの言うように私だったとしたら…………私がきちんと恭介を戻さなくちゃいけない。


海沿いにあるホテルのエントランスに到着したタクシーから降りると、恭介がいる部屋番号が書かれているメモを片手に、エレベーターに乗り込んだ。25階のボタンを押し、エレベーターはゆっくりと上へとあがっていく。
胸が張り裂けそうに痛くて、手が震えていた。立っているのがやっとなぐらい妙に緊張していて、泣きそうになるのを一生懸命堪えていた。まだ何も始まってもいないのに、緊張感だけが増していく。
私はちゃんと恭介に言えるのだろうか……?
エレベーターが25階に到着すして扉が開くと、事前に連絡を入れていた小早川さんが私を出迎えてくれた。お互いに軽く会釈した後、小早川さんが、「お忙しいところ申し訳ありません」と、言った。

「いえ……」
「こちらです」

小早川さんの後をただ黙って歩く。
胸が押し潰れそうになるぐらい苦しく、静かなこの空間で鼓動の音が小早川さんにも聞こえるんじゃないかと思うぐらい、大きかった。
恭介の部屋の前につくと、小早川さんは止まった。

「私はしばらく席を外していますので……」
「はい……わかりました」
「……よろしくお願い致します」

小早川さんは深々と頭を下げ、エレベーターの方へと戻って行った。
それから私は一呼吸おいて震える指で部屋のチャイムを鳴らした。

「…………」

しばらく待った後、「誰?」と恭介の声が聞こえてきた。
久しぶりに聞いた恭介の声だけで、涙が込み上げてきそうになった。

「……私。ゆら」

そう言ったら、すぐにガチャガチャッと部屋のドアが開いた。
久しぶりに見た恭介はいつもの元気な恭介じゃなかった。髪はボサボサで家にいる時のように長袖Tシャツとスウェット姿だった。

「久しぶり。なんかちょっと痩せた?」

私は恭介の顔に触れた。

「ゆら………」
「とりあえず部屋に入れてよ。誰かに見られたら困るし」
「あ…ああ」

私が部屋に入った後に恭介は部屋のドアを閉めて、「ゆら、なんでここに……?」と言って私の後をついてくる。

「恭介が元気ないって言うから、小早川さんが時間作ってくれたの。それに恭介、全然連絡もくれないし」
「……ごめん」

鞄を窓際のテーブルの上に置いて、レースのカーテンを少し開けた。

「ここから海岸沿いのショッピングモールが見えるんだね。あ、観覧車も見えるじゃない」

私は何をどう切りだしていいのか分からず、とりあえず気持ちを落ち着かせるため窓の外の景色をしばらく眺め、その後ベットの脇に腰かけた。
恭介は何も言わず、ボケっと私の側で突っ立って座っている私を見下ろしている。

「怪我……ごめんな。俺のせいで……」
「別に恭介のせいじゃないよ。あれは自分で転んだんだから」
「それ、本気で言ってる?」

恭介は私の右側に腰かけて、私の右手を両手で握った。
まっすぐに私を見る恭介は、いつになく真剣なまなざしだった。

「当たり前でしょ。恭介のファンがするわけないじゃない。そんなこともわかんないの?」
「……何が正しいのか正しくないのか、わかんねぇよ。それに―――俺は間違ったことは何もしてない」

自分には何も落ち度はないと言った風に聞こえた。
大きな溜息を一つ落して私は言う。

「恭介は間違ってるよ。あの発言は絶対にするべきじゃなかった」
「なんでだよ。ゆら、俺のせいで怪我したんだろ」

恭介はじっと私から目をそらさず言葉を繋ぐ。

「恭介は何もわかってない。恭介があんなこと言ったせいでファンがやったって世間から思われてるって知ってる?そのせいでファンが傷ついてるってわかってる?恭介が活動自粛したことによってメンバーにも迷惑かかってるって責任感じてる?」
「そんなのしらねーよ」

恭介はずっと握っていた手を離して立ち上がり、窓辺に立つと少しレースのカーテンを開けた。
私は恭介の後ろ姿を見ながら、「…………ねぇ、恭介にとってファンってなに?スターダストセブンってなに?」と尋ねた。

「なんだよ急に……」
「簡単だよね。恭介にとったらファンもメンバーも簡単に切り捨てられる存在なんでしょ?私、側で見ててそれを感じてた。恭介にはファンの声援なんか届いてないんだもんね」
「――――ゆらの言うとおりだよ。仕事だと割り切ればいいけど、それ以上はない。なんだったら今すぐにでも引退してもいい」

私の方を向くと、嘘偽りないハッキリとした口調で恭介は言った。
本当は否定して欲しかったのに……現実はやっぱり違った。
私も立ち上がりゆっくりと恭介の元へ行くと、恭介の顔を両手で触れた。

「恭介……なんでそうなっちゃったの?前は違ったじゃない。この仕事を好きだったじゃない。初めてステージに立った時、初めてTVに出た時、曲がランクインした時、ドラマで役を貰えた時、すごく喜んでたじゃない。そんな人が仕事やファンに愛情を持ってないわけない。ねぇ、ちゃんと仕事と向きあって、自分が背負っているものを自覚して」

恭介は私の両手を握ると、顔から降ろす。

「俺は普通でいいんだよ。普通の生活をして、ゆらと一緒にいられればそれでいいんだよ。こんな生活を望んでいたわけじゃない」
「じゃあ、どうしてアイドルなんかになったのよ」
「―――喜んでたじゃん。俺がスターダストやってるのゆら喜んでくれてたじゃん」
「……私が喜んでたからスターダストをやってたっていうの?」
「そうだよ」

―― あなたの存在が何よりも大きい ――

小早川さんが言ったあの言葉が頭の中に浮かんだ。
10年も一緒にいたっていうのに、恭介がそんな思いを抱えて仕事してたなんて知らなかった。

「………前に一度だけ恭介のファンの子と話したことがある。その時、彼女たちが嬉しそうな顔して言うの。『恭介が笑ってるだけで、明日も頑張ろうって思う』って……これって凄いことだと思わない?誰のどんな言葉よりも、恭介の笑顔一つで救われていることがあるんだよ?恭介が活躍するだけで誰かを元気にしてるんだよ?それって、誰にでも出来ることじゃないじゃない。恭介だから出来ることなんだよ?……だから……お願いだから……私のために仕事をやってたなんて言わないで」

我慢していた涙が静かに頬を伝った。

「…………自分の幸せも手に入らないのに、他人の幸せなんか考えられねぇよ」

恭介は私から逃げるように反対側のベットの脇に腰掛けた。

「何言ってんのよ。ちゃんとしてよ!」
「もう嫌なんだよ!仕事をすればするだけゆらが遠ざかっていくのが!」
「なにそれ……」
「最近のゆらは、俺の仕事ちゃんと見てくれてないだろ?俺がスターダストやってるの快く思ってないだろ?」

恭介はまっすぐ私の方を見て言った。
恭介のその言葉は図星をつかれたような感じがした。たしかに最初の頃は恭介の活躍を応援していた。スターダストが、恭介が、芸能界で活躍出来るように祈っていたし、応援もしていた。だけどいつしか仕事が軌道に乗り始め人気が出てきてからは、心から応援出来ていなかったところがあった。それは、“私が遠ざかっていく”と言った恭介と同じで、恭介が遠ざかっていくのが……怖かったから。

「……………」

恭介に背を向ける様な形で反対側のベットの脇に浅く腰掛けて溢れ出て来る涙をぬぐう。それでも涙は止まらない。
いつから?どこから?私たちの歯車はかみ合わなくなってしまっていたのだろう……?
あの頃から何一つ変わっていないはずなのに、会えない時間が私たちの間に距離を生んだのだろうか……?

「俺は……アイドルになりたかったんじゃない。俺はずっと………ゆらとの結婚が夢だったんだ」
「…………」
「ゆら、前に言ったよな。俺たちに未来はあるのか―――って、それを聞かれた時、ゆらも俺との結婚を望んでいてくれたんだって嬉しかった。だから絶対結婚したいって思ったんだ…………この夢だけはどうしても叶えたいって……」

恭介の夢が私との結婚だったなんて初めて知った
そんなこと今まで一言も言わなかったじゃない……

「ねぇ……ひとつ聞いていい?あの交際宣言は、私との結婚を考えてのこと?交際宣言すれば、結婚出来ると思ってた?」
「引退出来ないなら、ゆらの存在を明らかにして結婚出来ると思った」

私は、私が思っていた以上に恭介に愛されていた
こんな時にそれを教えてくれるなんて、神様って意地悪だ
だけど、もう、それだけで充分だよ…………

涙が溢れて言葉を紡ぐことが出来ず、しばらく沈黙が続いた。
決定的なあの言葉を言う準備をするために、私は涙をぬぐい呼吸を整えて……………口を開いた。

「……………もう終わりにしよう」

ようやく出た言葉に恭介はこちらに体を向けて、「なんだよそれ」と驚いた表情を見せていた。

「本当はずっと……恭介と一緒にいたら邪魔になるって思ってた。こんなことになるならもっと早く答えを出しておけばよかった……ごめんね…………私が手放せなかったせいで恭介を苦しめてしまって……ごめんね…………」

私を見ている恭介から目を離さず言った。
頭がクラクラする。胸の奥が息苦しい。
好きな相手に好きじゃないって伝えることがこんなに苦しいなんて知らなかった…………

「俺はゆらがいたから今の仕事が出来たんだよ。全部ゆらのおかげだろ?なんでそんなこと言うんだよ……邪魔になるなんて思ったことねぇよ!」
「私が側にいればきっとまた同じことが起きる。そうなったら今度こそ恭介は戻れなくなる」
「いいよ。それでもいい」
「私が嫌なの!私のせいで誰かを犠牲にするのは嫌なの!」
「なんだよそれ…………ふざけんなよッ!こんな結末迎えるために10年一緒にいたわけじゃないだろ!」
「………………ごめん。恭介にもう……全部捨てて一緒にいてって言えない」

こっちを向いていた恭介はベットの上に顔を埋めた。
両手でシーツを力強く握って、涙を堪えているように見えた。

「……なんでだよ……なんで……」
「だって恭介はもう、スターダストセブンの朝比奈 恭介でしょ。もう……私だけの恭介じゃない」

恭介はゆっくり顔を上げると、「ゆらはなんでそこまでスターダストにこだわるの?」と、少し涙になっている目を私に向けて言う。

「恭介忘れちゃったの?スターダストは恭介にとって好きな場所だったでしょ?初めは興味がないって言ってたけど、ダンスや演技の練習は楽しいって言ってたじゃない。スターダストが結成された日は、これから7人で頑張って行くんだって嬉しそうに話してくれたじゃない」
「……そんな時もあったっけ?忘れたよ……」

恭介は苦笑しながら言った。

「恭介には私以上に愛を注いでくれる人がたくさんいるんだから、今まで私に向けていた愛情を全部そっちに向ければいいんだよ。恭介なら出来るから」
「ゆらは、俺がいなくても平気なんだ」
「…………平気だよ。今日まで恭介がたくさん愛をくれたから大丈夫」

笑顔を見せて言うと、恭介は口元を緩め小さく笑顔を作った。

「涙ながしながら言われても説得力ねぇーよ」
「ふふ……そだね」

それから私は立ち上がり、窓際のテーブルに置いていた自分の鞄の中からキーケースを取りだした。そして、キーケースの中から恭介の部屋の鍵を外した。

「昨日、恭介んちに置いてた荷物は取りに行ったから。それから恭介がうちに置いてた荷物は小早川さんにお願いしたから……」

掌に乗っている鍵を恭介に向けた。恭介は鍵を受け取るのに戸惑っているようで少し鍵を見つめた後、手を伸ばして鍵を握った。それから床の上に脱ぎ捨てられていたジーンズを拾いあげるとポケットからジャラっと数本鍵がついたキーリングから1本鍵を外した。

「……こういう選択しかないんだよな」
「うん……」

恭介から部屋の鍵を受け取ると、本当に終わるんだと急に実感が湧いた。
泣いちゃダメだと思いながらも、涙が溢れこぼれる。
10年分の想いを全て忘れなきゃいけないために……

「ゆら、最後に俺のお願い聞いてくれる?」
「なに?」
「抱きしめてもいい?」
「……うん」

お互い涙をぬぐった後、抱きあった。私は恭介の背中に腕をまわし、恭介はしっかりと私を抱きしめる。これが最後の抱擁だと思うと、お互いこの温もりを忘れないために固く抱き合った。しばらくお互いの温もりを感じて、おでことおでこをくっつけてた後、引き寄せられるように軽くキスをし、恭介が親指で私の頬についた涙の後に触れた後に今度は深くて長い最後のくちづけを交わした。10年間の想いを全て込めて私たちは名残惜しみながら静かにくちづけを離した。それでもすぐに離れられずにいたが、私の方から恭介の背中にまわしていた腕を解いた。

「……10年間愛してくれてありがとう。可愛げある彼女じゃなくてごめんね」
「ゆらは可愛かったよ」
「絶対仕事頑張ってよ。恭介なら出来るから……応援してるから」
「ありがとう」

最後は二人して微笑みあえた。
後ろ髪をひかれながらもすぐに鞄を手にとって、部屋を出る。廊下を早く歩きエレベーターのボタンを押す。エレベーターが着いて乗り込んだ時、数字のボタンが涙で滲んだ。エレベーターの中でしゃがみこんで、一人思い切り泣いた。


私たちの10年に及ぶ恋は、こうして幕を閉じた―――――