Chapter.3 見えない未来と手にしたい未来

あれから数日経ち、時間が過ぎていく度に自分があの時恭介に泣きついた事が顔から火が出るぐらい恥ずかしい。思い出したくないのに時々自分を戒めるかのようにあの時の残像が脳裏に映し出される。その度に頭を横に振って振り払うが雑念は消える事はなかった。
まだあれから恭介に会っていないのが幸いである。

「これ、お願いします」

文庫本が3冊目の前に置かれた。

「あ、はい。カードの提示お願いしま…………あ……」

文庫本を手に取り、視線をあげるとこの間本を拾ってくれたスーツの彼だった。
今日もあの時と変わらないスーツ姿だった。

「覚えててくれたんですか?」

ニコッと優しい笑顔を私に向ける。

「あの時は有難うございました」
「いえいえ。あれからあの作者の本が気になって、今日時間が出来たから借りに来たんです」

彼は財布からカードを取り出してカウンターに置いた。

「有難うございます。この3冊すごくお薦めですよ」

カードを受け取り、本のバーコードを通していく。

「山田さん……」

本とカードを再びカウンターの上に置いた時、彼が首からかけている社員証を見て言った

「はい」
「あ、すみません。心の中で呟いたつもりだったのに。つい口が……」

私は笑顔を見せながら、「はい。私は山田です」と社員証を見せて名乗った。

「“ゆら”って、素敵な響きのお名前ですね」
「有難うございます。そんな事言ってもらえたの初めてです」
「あ、僕は、溝部 柾臣(みぞべ まさおみ)です」

上着のポケットから名刺ケースを取り出すと、1枚取り出した。

「有難うございます」
「それじゃあ、本お借りして行きます」
「はい。有難うございました。返却日お間違いなく」
「はい」

溝部さんは手を振りながら満面の笑みで去って行った。
面白い人。そう思ったら自然に笑みがこぼれた。

「あの人、絶対山田さん狙いですよ」

カウンターの奥で作業していた石原が顔をニヤつかせながら私の元にやってきた。

「気のせいでしょ」
「いやいや、気がなかったらわざわざあんな笑顔見せますかぁ?」

石原はカウンターの上に置いていた名刺を手に取った。

「へぇ、製菓会社の人なんだ。図書カード持ってるってことは、家はこの辺りなんですかね?」
「さあ、どうだろう?」
「そうだ。山田さん。仲良くなってぜひ一緒に飲み会開きましょうね」
「石原、彼氏いるじゃない」
「結婚するにはまだまだ未熟なんですよ。彼」
「あっそ」

ひょいっと石原から名刺を奪い、名刺をスカートのポケットにしまった。
石原の言葉を鵜呑みにするわけじゃないけど、こんな些細な偶然がきっかけで恋愛へと発展して行く事もあるのだろう。
だって、もし、カウンター担当が私じゃなかったら、こうやってまた会える事もなかっただろうし、名刺を渡される事もないわけだから……。

―――――まぁ、だからって、私が恭介と切らない以上どうすることもないんだけどね。
そこが一番大事なところだよね。

スカートのポケットから名刺を取り出し、くしゃっと丸めてゴミ箱へと捨てた。


午後に入ると平日には珍しく制服姿の女子中高生が目立った。本を選んでいる―――というより、誰かを探しているような感じだった。彼女たちの目的がわからないまま仕事をしていると、制服をきた女の子二人組に声をかけられた。

「あの――……スターダストセブンの恭介がよくこの図書館に来るって本当ですか?」
「え……?」

彼女の言葉に私の心臓は跳ね上がり、痛いぐらい鼓動が速くなって言葉が見当たらない。
私が何も言えずにいたら、「“スターダストセブン”知らないんじゃない?」「あ、そっか」という会話が始まり、右側にいた女の子が鞄の中から手帳を取り出すと、背表紙に挟んでいたスターダストセブンのメンバーが映っているプロマイドを取り出して恭介の顔を指差した。

「彼なんですけど……見かけたことありますか?」
「さ……さあ……どうかな?若い男の人も結構利用されてるから……」
「そうですか……ありがとうございます」

彼女たちは少しガッカリした様子で、私に一礼して歩いて行った。

「あ、待って」

私は彼女たちを呼びとめ、早歩きで彼女たちの元へと向かった。

「あのさ、どうしてここにスターダストセブンの人が来てるって知ったの?」
「ネットの掲示板に書いてあったんです。ここの図書館に“恭介が時々やってくる”って」
「……本当に?」
「はい。嘘だと思ったんですけど、一応念のために来てみたんです。だって本当にそうだったら嬉しいし。ね」
「うん。バッタリあったりしたらラッキーだし。絶対写真撮ってもらうんだ」
「私も!それで、サインも貰う――!」
「握手は絶対だよね」
「凄く好きなんだね」

私は言った。

「歌ってる時とか凄くかっこいいんですよ――!フェロモンがマジやばいっていうか、もぉ、ウィンクなんかされた時なんか胸がきゅんって音するよね」
「するする!バラエティ出てる時とはまた違った雰囲気で、歌ってる時のカメラ目線はヤバいよね!」
「それはもうカッコよすぎて鼻血でる」
「恭介が笑っているだけで、よし!明日も頑張ろうって思える。だから恭介は私のサプリ的存在なんです」
「お姉さんも今度絶対TV見て下さいね。絶対好きになりますよ」

彼女たちは、キラキラした笑顔で恭介の魅力を教えてくれた。
アイドルしている恭介は、彼女たちにとって毎日生活している中での癒しで、きっと大事な存在なんだろう。恭介たちはそんな彼女たちのために仕事をしている。こういうのって、凄く太い絆で結ばれているように思える。そんな仕事を選んだ恭介は大変だろうけど、羨ましくも思える半面、恭介が背負っているものは大きいと感じた。
そんな恭介から「事務所から怒られた」と、その日の夜遅く電話が来た。事務所にも連絡があったみたいで恭介はマネージャーから怒られたと言っていた。

「当たり前でしょ。噂じゃなくて真実なんだから」
『ネットの情報ってだけで信憑性も薄いから、まぁ大丈夫だと思うけど……しばらく行くなと言われた。あと、念のためにしばらく会うなって言われたし……』
「そりゃあ、言われるよ」
『あーあ、俺の完璧な変装がバレるなんて……』
「完璧じゃないでしょ。あれは」
『せっかく昼間堂々と会えてたのに。なんでバレんだよ……これからはどこで会えばいいんだよ』
「しばらく大人しくしてよ」
『思い切って交際宣言でもするか。そしたら堂々と会えるじゃん』
「お願いだからこれ以上問題起こさないで」

この日の恭介との電話は罪悪感でいっぱいだった。
初めて恭介のファンを目の当たりにしたからか、今日会った彼女たちに対して優越感よりも申し訳なく思えてしかたなかった。


あの騒動から2週間が経過した。図書館はまだ時々ファンらしき女の子たちが来館してきていたが、少しずついつもの図書館に戻りつつあった。私と同世代ぐらいの女子職員たちは、「一度でいいから会ってみたかった」と言っていたので、恭介が本当に来館していたことには気づかれていなかったようでホッとした。
そんなある日、紗月から久しぶりに連絡がきて、陽平が出張でいないから一緒にご飯を食べようと誘われた。待ち合わせをして駅の近くにあるイタリア料理店で楽しくワインを飲みながら食事を進めていると、「恭介がゆらの図書館に来てたって本当?」と、紗月が言ってきた。まさか紗月がこのことを知っているとは思っておらず、ビックリして持っていたワイングラスの手が止まった。

「な、なんで知ってるの?そのこと」
「陽平がネットの掲示板で見たって言ってた。ねぇ、本当に恭介きたの?」
「……来ないよ。恭介がくるわけないじゃない」

動揺せずにいつものように振舞い言った。

「本当に恭介じゃないの?ゆらに会いに来たとかじゃなく?」
「恭介じゃないから」
「そうなんだ。じゃあ、恭介とは何もないんだね?」
「何もないよ。いつの話してるのよ」

いつもより念を押す紗月に呆れながら言うと、紗月はニコっと微笑んだ

「……その笑顔が怖いんですけど」
「そう?気のせいだよ」
「変なこと企んでないでしょうね?」
「全然企んでないよ。ホントだよ。あ、ねぇ、この後久しぶりに『TODAY』行かない?」

私たちがお酒を飲むようになってよく行っていたBARだった。こじんまりしているお店でジャズが流れているような落ち着いた雰囲気のお店だったから、20代前半の時は大人な女にでもなった気分になってよく入り浸っていた。イタリアンを堪能した後、私たちはほろ酔い加減で久しぶりにBARへと向かった。店へ行くまでの間、紗月は終始ご機嫌で私はそれをお酒のせいだと店に着くまでは思い込んでいた。
店のドアを開けて中に入った瞬間、カウンター席の後ろにある4人がけテーブルの席にスーツを着た男性二人が座っていて、こちら側を向いて座っていた男性が立ち上がり、「や、山田さん……?!」と私の名前を呼んだ。

「あ………え?え?」

立ち上がった男性は、図書館で私に名刺を渡した溝部さんで、溝部さんの向かいの席で体をこちらへと向けて満面な笑みを浮かべて手を振っている男は、出張に行っていると言っていた陽平だった。私は思わず隣で陽平と同じように手を振っている紗月と陽平を交互に見る。

「どういうことよ。これ。陽平、出張じゃなかったの?」
「まぁまぁ、とりあえず飲みなさい」

溝部さんの隣の席に座った私は陽平に問うが、陽平は私の言葉を軽く流してドリンクメニューを押しつける。

「ゆらに素敵な人を紹介したいなぁと陽平と話してて、そしたら会社にめちゃくちゃ良い人がいるって言うから、ゆらに紹介しようと思ったの。嘘ついて呼び出してごめんね」
「…………」

この二人の行動に呆気にとられるが、よく考えれば昔からこの二人はこうだったということを思い出した。私と恭介をくっつけようと無理矢理二人になるような場面を作ったり、何かと世話を焼きたがる二人だった。その度にまんまと引っ掛っていた私と恭介も問題だけど、未だにその手に引っ掛かる私の学習能力のなさにガッカリする。

「それにしても、俺らが紹介する前に知り合いだったのは驚きだけど」

私と紗月のグラスに入ったビールが運ばれた時、陽平は言った。

「図書館で2回ほど会ったことあるだけだよ」
「それにしても、福沢夫婦と山田さんが友人だったなんて……世の中意外と狭いんですね」

ニコニコしながら溝部さんは言った。

「私は溝部さんが陽平と同じ会社だったことに驚きました」
「名刺もらったんだろ?気づかなかったのかよ」
「陽平の会社の名前なんか覚えてないし」
「ゆらはそういう奴だよな」

それから4人で楽しく飲み、終電間近で店を出た。帰り際、陽平は「溝部。悪いけど、ゆらを送ってやってね」と言い残し、紗月と二人で仲良く手を繋いで街中に消えていった。
残された私たちに気まずい空気が流れる。お互いどうしたらいいものか、口が中々開かない。
よく考えれば、恭介以外の男の人と二人でいるってことが今までなかった気がする。
そう思うと、この沈黙は少し新鮮な感じ。

「……電車ってまだ大丈夫な時間ですか?」

沈黙の後、口を開いたのは溝部さんの方だった。

「あ、はい。大丈夫です。溝部さんは?」
「僕も大丈夫です。じゃあ、とりあえず駅まで一緒に行きましょうか」
「はい」

駅につく数分間、当たり障りない話をした。この間溝部さんが借りた本の感想や、好きな本のこと、陽平たちのことなど話をし、それから図書カードのことを思い出して自宅は近くなのかと尋ねてみたら、図書館がある駅から1つ離れた所に住んでいると言っていた。時々仕事で図書館の近くに来ていることも言っていて、その帰りに図書館で休憩することもあるとも言っていた。

「また図書館に寄った時は、よろしくお願いします」
「いえいえ。こちらこそ。いつでも利用して下さい」
「はい」
「それから、今日はあの二人が迷惑かけてしまってすみませんでした」

私は溝部さんに頭を下げた。

「山田さんはあの二人の保護者みたいですね」

小さく笑いながら溝部さんは言う。

「まぁ、そんな感じです」
「でも、僕はあの二人には感謝してます。山田さんとこうやって仲良くなれたんですから」

にこっと満面の笑みを浮かべる。

「そうですね」

私もクスクスと小さく微笑んだ。

「もし良かったら、今度二人で食事……でも行きませんか?」

私の胸が小さく跳ねた。

「…………」
「あ、そんな固く考えないで下さい。気軽に誘ったつもりだったんで……」
「すみません……」
「まぁ、下心がない……と言えば、嘘になるんですけどね」

溝部さんは、はははっと照れくさそうに笑った。

「あの…………あの二人には言ってないんですが、私、好きな人がいて……」
「それは……恋人ですか?」

その質問に恭介の顔が自然と浮かび、思わず肯定しそうになったが、「―――いえ、違います」と、恭介の顔を消して言った。

「だったら、たまには一緒に食事して下さい」

まっすぐに私の目を見て誘ってきた彼の誘いを断れなかった。溝部さんは、陽平の言うとおり良い人が滲み出ているような人だった。こんな人が恋人になったら、きっと絵にかいたように幸せで、誰からも反対されず、幸せな家庭が築けそうな気がする。私が掴みたいと思っている幸せを叶えてくれる人だと思った。