Chapter.2 午前3時のプロポーズ

新居に遊びに来ない?と紗月から誘いのメールを貰って金曜日の仕事帰りに行くことになった。駅前のショッピングモールで紗月が好きなきなこのロールケーキを買い、電車に乗り二人の新居へと向かう。最寄りの駅につくと紗月が改札口まで迎えに来てくれていた。
二人の新居は駅から5分の場所にある5階建ての賃貸マンションだった。いくつか物件を見てまわり、この物件が一番日当たりが良かったと紗月は言っていた。それから部屋一つ決めるのにも陽平と意見がぶつかり大変だったとも言っていた。いくら好きな相手だとしても一緒に暮らしていくとなると、育った環境が違うし、価値観も違うのは当然で意見がぶつかる事もあるだろう。
それでも紗月は幸せそうに見えた。

「福沢さん」
「……え?」

紗月が玄関のドアを鍵で開けている時、表札をみた私は言った。
突然陽平の苗字を言ったもんだから紗月はきょとんとしている。

「福沢 紗月になったんだなぁ…って思って」
「27年間も越野 紗月でいたから、今は違和感ありまくりだよ」

二人の新居は2LDKで、玄関入って左手に寝室になっている洋室があり、右手にはサニタリールームとバスルームがあった。廊下つきあたりに12帖ほどのLDKがあり、リビングの隣に和室が繋がっていた。全てを白で統一された部屋は紗月らしい可愛いインテリアに仕上がっていた。

「高い建物があまりないから5階でも景色はよく見えるね」

リビングの窓から外の景色を眺めながら言った。

「そうなんだよね。ゆらんところは何階だっけ?」
「7階。だけど、結構背の高いマンションが建ってきて景色悪いよ」
「そうなんだぁ。あ、座ってね。もうすぐ陽平帰ってくるから、ご飯それからでいいよね?」
「うん。何か手伝うよ」
「いいよ。いいよ。あとサラダだけだし。ゆらは座ってて」

ソファの前のテーブルに紅茶とクッキーを運んできた紗月。忙しそうにキッチンへ戻ると夕食の準備を始めた。
とりあえずソファに腰掛けて、紅茶を一口頂く。アールグレイの香りにホッと癒される。鞄の中から携帯電話を取り出すとメールを受信していたようだった。

『紗月の手料理は美味かった?
今からバラエティ番組の収録。
その後、飲みに行くから電話もメールも出来ないかも。ごめん』

昨日恭介に送ったメールの送信が返ってきた。
本当に仕事が忙しそうで、最近の平均睡眠が3時間あまりだと言っていた。恭介が図書館に来て10日あまり経っていて、あれから恭介とは会っていない。時間を見つけたらすると言っていた連絡も、昨日が初めてだった。

「そういえば、この間恭介が珍しく電話くれたの」

カウンターキッチン越しに紗月は思い出したように口を開いた。
私は思わず携帯電話を閉じた。

「そうなんだ」
「結婚祝い何がいい?って聞かれて。元気そうだったけど、仕事忙しいみたいだよ。その時もロケの合間だって言ってたし」
「へぇ」
「彼女とかいないのかなぁ?そういえば恭介のそういう噂ってないよね。他のメンバーはたまに週刊誌載ってたりするけど。まぁ、アイドルだし彼女ぐらいはいるよね。やっぱり」
「さぁ?どうなんだろうね。芸能界とかって未知の世界だし想像つかない」
「だよね。ねぇ、ゆらは彼氏いないの?」
「いない」
「そういえば、ゆらって恭介の他に彼氏っていたっけ?」
「うーん……いないかも」
「ええ?!そうなの?!ゆら、美人だし絶対モテるのに」
「私、愛想ないし、女子力低いし、無理無理」
「陽平に誰か紹介してもらおうか?」
「いいよいいよ。そういうの苦手なの。その気持ちだけで充分。ありがと」

嘘の上から嘘を重ねるのは、本当に心苦しい。
全てのことをぶちまけたい。
全部話して楽になりたい……

それから少しして陽平が帰ってきた。食卓には結婚のために半年間料理教室へ通って習ったという料理が品数多く並ぶ。和洋折衷の料理がどれも美味しそうで、紗月は絵にかいたような良い奥さんになるんじゃないかと思う。

「紗月凄いね。こんなに料理が出来るなんて知らなかった」
「結婚決まって慌てて料理教室通ったよ」
「マジでそれまで料理出来なかったからな」
「ひど――い、カレーぐらい作れたよ」

二人の微笑ましい光景を見るだけで心が暖かくなる。

「久しぶりに再会すると、高校の頃思い出すよな」
「食堂でよく一緒に食べたよね。私と陽平とゆらと恭介で」
「そうそう」
「懐かしいよね……」
「まさか、あの恭介がアイドルやるなんて想像しなかったよ」
「今思い出したけど、陽平も一緒に行ったんだよね?オーディション」
「そうそう。たしか5人ぐらいで受けに行ったんだよ。そんであいつだけ受かったんだよ」
「まぁ、陽平と恭介だったら恭介の方とるよね」
「お〜ま〜え〜は〜」

陽平は隣に座っている紗月の耳をひっぱり、紗月は「痛い痛い」と言ってたが楽しそうだった。
そんな二人のやりとりに私の目が自然と細くなり口元が緩まる。

「ゆら、恭介が人気アイドルになるなら別れなかっただろ?」
「そんなことないよ。ダメになる時はダメになるんだから」

グラスに入っている白ワインを一口飲んだ。

「そう言えば、疑問だったんだけど、ゆらっていつから恭介のこと好きだったの?ずっと一緒にいたけど、全然気がつかなかったよ」
「ああ――……」
「恭介からだよな?」

グラス片手に陽平は言う。

「そうなの?!」
「んん――……どうだったかなぁ。遠い昔で忘れた」
「絶対恭介からだって。だってあいつ、ゆらに一目ぼれしたって言ってたもん」
「マジで?!すご―――い!」
「…………」


私たちの始まりは今でも覚えている。
文化祭準備期間の時、私と恭介は大道具班だった。クラスでお化け屋敷をやる事になり大道具班は毎日のように遅くまで居残っていた。その日もペンキでの色塗りに時間がかかっていた。「休憩しよう」ということで、じゃんけんで負けた私と恭介が食堂近くの自動販売機までパックのジュースを買いに行くことになった。

「あのさぁ、文化祭4人でまわろうって言ってたじゃん?」
「うん」

次のジュースを買うために小銭をチャリンチャリンと入れている時に、取り出し口からパックのジュースを取り出して恭介は言った。

「アレ――……さぁ……2人でまわらない?」
「うん。そうだね。私たちいたら邪魔だしね」

恭介の思惑などまったく気がつかず、私はあっさり答えた。
小銭を入れ終えて、私がボタンを押すと同時に恭介が口を開く。

「そうじゃなくて」

少し大きい声で恭介は言う。
ガコンッとジュースが取り出し口に落とされる。

「え?」
「あいつら関係なく、二人でいようって言ってんの」
「なんで?」
「なんでって……俺がゆらと一緒にいたいから」
「意味がよくわからないんだけど」
「だからぁ―……ゆらが好きだってこと」
「……マジで言ってる?」
「大マジ」

少し顔を火照らせながら恥ずかしそうにしている恭介が、可愛く見えた。

「あ、もしかして、好きな奴とかいた?」

何も言わない私に恭介は言った。

「いや、いないけど……でも、恭介のことそういう目で見てなかった」
「相変わらずそういうところ正直だなぁ。でも、そういう嘘つけないところが好きなんだけどな。とりあえずさ、お試しってことでどう?これから一緒にいて、俺のことを知って、それで嫌だったらそれでいいよ。どう?」

それまで恭介のことを恋愛感情で見たこと無かったけど、恭介と一緒にいることは嫌いじゃなかった。だから断る理由が見つからず、私は恭介の申し出を承諾したんだ。
それから一緒にいればいるほど、前より恭介のことを好きになり、異性として意識して、気がつくと好きになっていた。
人が恋に落ちる瞬間なんて、何が原因で落ちるのかわからないものである。
それから10年。
私たちは進む事も止まる事も出来ずに、この恋の結末をずっと模索している。


「なぁ、ゆら」

陽平はワインをグラスに注ぎながら口を開く。

「ん?」
「おまえと恭介って一体何が原因で別れたわけ?恭介に聞いても全然理由言ってくんないんだよな」
「んん――……なんだっけなぁ?」
「もう時効だろ。言えよ」
「わかった。恭介が浮気した」

何かをひらめいたように紗月は言う。

「じゃあ、そういうことで」
「おいおい」

理由なんかないよ。別れてないんだから。
三人で笑いながら心の中でそう思った。


23時前に二人の新居を出て、ほろ酔い加減で駅へと向かう。
久しぶりにあった二人と思い出話や仕事の話をして盛り上がって、昔からの友人はやっぱり気が楽だと感じた。
それに結婚する二人が今まで以上に幸せそうに笑っている姿を見ると、ずっとそのままでいて欲しいと願う。
――――だけど、二人の幸せな姿を見れば見る程、自分がすごく寂しく感じた。
私は、あの二人の様に幸せに笑っているのだろうか……
何故か心にぽっかりと穴が開いた気分に陥った。

電車に乗って、自分が住んでいる駅を超え、図書館がある駅で降りた。
昼間とは違い真っ暗で外灯も少ない住宅街。時々風が吹くと歩道に植え込んである木々がザワザワと音を立てて不気味さが増していく。図書館へ向かう坂道を登らず通り過ぎ、線路沿いを少し歩くと赤い提灯がついている居酒屋とコンビニが見えてくる。そこの角を曲がったら一軒家が立ち並んでいる住宅街に入ると、5分程歩いた奥に茶色のレンガ張りの14階建てのマンションが見えてくる。そこが恭介の住んでいるマンションだった。
マンションの手前で立ち止まり、鞄の中から携帯電話を取り出して恭介にかけてみるも電話には出なかった。そういえば飲みに行くとか言ってたっけ……。仕方なく携帯電話を鞄にしまった後、キーケースを取りだした。キーケースの中には鍵が3本。私の部屋の鍵と、実家の鍵と、恭介の部屋の鍵。私はキーケースを握りしめながら、マンションへと向かった。
マンションのエントランスに入り、さらに奥に進むとオートロックになっている自動ドアが出てくる。部屋の合鍵を使ってオートロックを解除した。エレベーターに乗って9階。エレベーター近くの部屋が恭介の部屋だった。玄関のドアを開けると、いつも恭介が履いている真っ白のサンダルが目に入り、サンダルを脱ぎながら視線を前に向けたら何故か玄関すぐの廊下に大きな三毛猫の置物が置いてあった。頭にはこげ茶色のテンガロンハットをのせられていた。

「……なにこれ」

思わず声がもれる。
靴を脱いで廊下を進み、開けっぱなしになっているリビングのドアをくぐった。電気をつけると、脱ぎっぱなしの服や読みっぱなしの本、缶ビールや空のペットボトルなどがソファーのあたりにたくさん散らばっている。相変わらず散らかっている部屋が仕事の忙しさを物語っているようだった。ベランダの戸を開けて空気を入れ替え、それから洗濯機をまわし、ベランダに出る事を警戒した私は浴室乾燥機をかけて服を乾かした。ゴミはゴミ袋に空き缶とペットボトルを仕分けて入れて、キッチンの隅にまとめた。一通り部屋の中がなんとかスッキリして、私はソファに深く腰掛けた。テレビの上に飾ってある木製の壁掛け時計で時間を確認したら、午前1時を過ぎていた。疲れてきってころんとクッションを抱えたまま私は横になった。するとそのまま自然と目が閉じて、すぐに深い眠りについた――――

「……ら、ゆら、ゆら」

ゆさゆさと肩あたりを揺さぶられたので、ゆっくり目を開けたら恭介が側にいた。

「ああ――……恭介……今帰ったの?」

目をこすり、ゆっくり体を起こして欠伸をひとつしながら髪をかきあげた。
眠たい目で時間を確認すると午前3時を少し回ったところだった。

「今日来るって言ってたっけ?」

恭介は開けていたベランダの戸を閉めると、エアコンのスイッチを入れた。

「ううん。ちょっと……気が向いただけ」
「ごめん、着信にも気がつかなかった」

ポケットから鍵と携帯電話を出して、ソファの前にあるテーブルに置いた。

「いいよ。勝手にきたんだし」
「部屋も片付けてくれたみたいで、ありがとな」
「洗濯物は浴室乾燥かけたから」
「サンキュー」
「うん……」

私はまたゴロンと横に寝転がった。

「陽平たちと何かあった?」
「……べつに。何もないよ。紗月の美味しい料理をお腹いっぱいごちそうになって、高校の想い出話に花が咲き、それはそれは楽しいひとときだったよ」

目をつむったまま恭介に報告する。

「それは良かったじゃん」
「うん……」
「じゃあ、なんでうちに来たの?何かあるから来たんじゃないの?」

さすがに10年も付き合っていると、私の行動を読めるのか恭介は言った。
恭介は私の両手を掴んでひっぱりあげるので私は上半身だけ起こされ、恭介の顔を見ないようにだらんと顔をうつむけたままにしてたら、恭平は私の両手を握ったまま顔を覗きこむ。

「…………」

言ったらダメ。
言ってしまうと、恭介を困らせるだけだもの

「ゆら……?」

―――――だけど、ダメだ
今日は我慢できない。
無意識に下唇を軽く噛み、重い口を開けた。

「……………私たちに未来はある?」

胸が苦しくて痛い。
こんな想い、今までしたこと無かった。
困らせるだけだってわかっているのに…………後悔という名のものが私を襲う。

「ゆら」
「ごめん。うそうそ。大丈夫。何にもないよ」

恭介に何かを言われるのが怖くて慌てて笑顔を作り、恭介の言葉を遮るように言った。

「何もないようには見えないんですけど」
「違う。本当に……」

首を横に振って否定したけれど、きっと恭介のことだから全てわかっていると思った。

「俺の前で嘘つくなって」

ずっと握っていた私の両手をぐいっと引っ張られ、私は倒れるような形で恭介の胸の中へおさまった。逃げないようにぎゅっと恭介の大きな腕が私を抱きしめるので、スイッチが入ったように喉の奥が苦しくなって涙がこぼれそうになった……

「結婚しよう」

少し黙った後、恭介は言葉を紡いだ。
その言葉だけで充分だよ。

「ゆら。返事しろ」

ぎゅっと恭介の背中を抱きしめた。

「ありがと。今はその言葉だけで充分……」
「俺、本気なんだけど」

恭介の体から離れ、今度は私が恭介の両手を握った。

「恭介。無理でしょ。ごめんごめん。そりゃあ、紗月たち見てたら羨ましい部分はいっぱいあったけど、私は今のままでも充分幸せだよ。ただ…………あの二人見てたら、私たちはどうなるんだろうって思って不安になっただけ。だから、大丈夫」

私は精いっぱいの笑顔を見せた。でもほんのり涙目だから笑顔には遠いかもしれないけど、恭介のために笑った。そしたら恭介がふいに顔を近づけてきて頬にキスをして、軽く唇を重ねた後、今度はゆっくり目を閉じてもう一度唇にキスをした。

「ゆら……ごめんな…………」

恭介が謝る度に、この胸は締め付けられていた。
恭介を苦しめているのは自分で、この苦しみから解放させてあげたい……と思うけれど、私はこの恋をまだ手放せなかった。
だから、謝るのは私の方だ。