二人の大切なもの(1)

「ゆらがそんな女だとは思わなかったよ。今のゆらは最低だよ……」

いつもの明るい声じゃなく、ワントーン下がった声で恭介は言った。
笑顔一つ浮かべず、険しい表情をしてまっすぐに私の顔を捉えているその目は怒りを表している。
ここまで恭介を怒らせたのは私だ。





“スターダストセブン”は男性7人グループのアイドルグループ。メンバーの大半が30歳を過ぎているからアイドルと呼んでもいいのか微妙だけど、世間的にはまだまだ名のあるアイドルグループだった。そのグループを引っ張っているのが、朝比奈恭介―――私の旦那様である。
恭介とは高校生の時に出会い、それから親友にすら打ち明けず秘密にして関係を続けていたが、27歳の時に私たちのことが公になり、色々あって3年ほど離れてしまったこともあった。引き合わせられるように再会して再び恋人に戻り、恭介からは、結婚出来るように環境を整えるから3年待ってて欲しい。と、言われて結婚の約束を交わしたけど、私は半ば結婚を諦めていて恭介と一緒にいられればそれでいい。と覚悟さえしていた。しかし、事務所の社長が、「10年以上も付き合っていて結婚させないってのは逆にイメージが悪い」と言って、それから1年経った頃に結婚の許しが貰え、恭介の仕事の調整をしたりと色々準備をして恭介の誕生日に入籍をした。

―――――それから1年。数日前に初めての結婚記念日を迎えたばかりのある日。私は職場の近所にある宇佐美産婦人科クリニックの待合室にいた。1週間ぐらい前から気にかかっていたものの、気づかないふりをして日々過ごしていたが、ここ3日程前から誤魔化しきれないぐらいの兆候が出始めて、診察を受けることにした。
清潔感ある真っ白な壁に、ピンク色のソファ、隅には小さなキッズスペースまで作られている女性ばかりの待合室でしばらく待っていると、「朝比奈さん。診察室にどうぞ」と名前を呼ばれて、診察室の扉を開けて、クリニックの院長である女医の宇佐美先生は、カルテに目を通した後に診察結果を口にした。

「多少の誤差はあると思いますけど、先ほど一緒に確認したように心拍も確認出来たので7週目あたりと行ったところですね」
「そうですか……」
「どうされました?」

笑顔も浮かべず、あまりにも落ち着いている私を気になったのか、宇佐美先生は私を見ながら言う。

「少し驚いてて……」
「もしかして……望まれてませんでした?」
「いえ、そんなことは……」

子どものことは二人ともノ―プランだったと言ってもおかしくない。
これまで二人の間で子どもの話題が出なかったわけではないけど、結婚してやっと堂々と二人で出かけられるようになったし、しばらくの間は今まで出来なかったことをやって二人の生活を楽しもう。と、自分たちのことばかりに目を向けていて、子どものことまで考えていなかった。
予定外の妊娠が嬉しくないわけではないけど、なんだか……気持ちが追いつかない。

妊娠が確定したその夜。恭介は来春公開される主演映画の撮影をしていて今日は戻ってこない。だからまだ恭介に報告はしていなかった。仕事の邪魔をしても悪いと思い、恭介には明日の朝帰ってきた時にでも報告すればいいか。と思っていた。
クリニックで貰ったエコー写真を片手にソファの上で仰向けに寝転がりながら眺めていた。マメ粒みたいな小さな袋の中に子どもがいるなんてなんだか不思議な気分で、それが私のお腹の中にいると思ったらもっと不思議だった。

「恭介と私の子どもかぁ……………」

エコー写真を持っていない左手でお腹に手をあてると、いつもよりも暖かくて、ここにいるよって教えているように感じて、手がお腹から離れた。
恭介と10数年付き合っていて、妊娠したなんて感じたことはこれまで一度もない。だから自分が妊娠するなんて考えたこともなかったから、子どもって本当に授かりものなんだなぁ……と、しみじみ思ってしまう。
目を瞑って色々考えている時に、私の携帯電話が鳴る。
相手は紗月からだった。

『もしもーし。ゆら元気にしてたぁ?』
「久しぶり。紗月も元気そうだね」
『恭介って、今、家にいる?』
「あ――…今日は帰ってこない。今、映画撮ってて、帰って来るのは明日の朝だよ。恭介に用事あったの?」
『私は無いんだけどね、奈帆が恭介に会いたい。とか言っててうるさいの。でも、本当は恭介よりも日向くんが狙いみたいだけど』
「なにそれ」

紗月から話を聞くと、前回やっていたライブを見に行った時に楽屋で日向くんに抱っこしてもらい、テーブルの上に置いてあったお菓子を「みんなには内緒だよ」と言って、なっちゃんが背負っていたウサギのリュックサックにたくさん入れてくれたらしい。それが子ども心に嬉しかったらしく、恭介に会えれば日向くんにも会えると思っているようだった。
なっちゃんを我が子のように可愛がっている恭介が知ったらきっとヤキモチ焼くんだろうなぁ…と、想像すると面白くて笑ってしまう。

『あ、そうそう。今日、テレビでゆらたちのことやってたよ。結婚記念日にアウトレットでデートしたんだって?』
「そんなことまでテレビでやってたの?」
『やってたやってた。それで夕食は高級フランス料理店で食べたんでしょ。いいなぁ〜。記念日にそういうところで食事って憧れる』
「結婚記念日の前に恭介の誕生日でもあるしね。それぐらい贅沢してもいいでしょ」

初めての結婚記念日は恭介が休みを貰ったので、私も有休を使って休んだ。
初めは恭介の誕生日でもあるし、どこか日帰り旅行にでも行こうか。と言っていたが、二人で色々考えているうちに、普通にデートしよう。というプランに変わった。二人で電車に乗って、最近出来たアウトレットのショッピングモールへ出かけて、夕食は恭介が「こんな日ぐらいは贅沢しよう」と言って、普段絶対行かないような高級フランス料理店を予約してくれていて、二人で食事を堪能した。

『それから―――ゆらに報告しようと思って電話したんだよね』
「なに?」
『待望の第二子を授かりましたぁ』

と、紗月は明るく元気な声で言う。
私は紗月の声とは逆に落ち着いた声で、「え……」と驚く。

『なに?喜んでくれないの?待望の第二子なのに……』
「あ、ううん。違う違う。ビックリしちゃって……。おめでとう。紗月」

紗月には見えないけど、笑顔で言った。

『ありがとう。まだ3ヵ月入るか入らないかぐらいなんだけどね』
「やっぱり……妊娠って嬉しい?」
『当たり前じゃない。陽平との間に子どもがもう一人増えるんだって思ったら、幸せだなぁ…って思うもん』
「だよね」
『ゆらも妊娠したら絶対嬉しいって思うよ。恭介なんか嬉しくて泣くんじゃない?』
「絶対泣くよ」

と、私が言ったら紗月は、『だよね』と言って笑っていた。
それから紗月と小一時間ぐらい話したが、私が妊娠していることは告げずに電話を終えた。
まずはやはり……父親になる恭介に先に言わなければいけない気がしたから。


――――次の日の朝。朝日と共に家に帰ってきた恭介に起こされて、マンション近くに出来た最近恭介がお気に入りのパン屋へ行こう。と誘われた。今の私はどちらかというと何も食べたくなくて、出来ればそっとしていて欲しいが、たぶん、恭介なりに気を使ってくれているのだろう。と思うと、それも無下にできない。
最近恭介の仕事が忙しいので、一緒に暮らしていても私が出勤するまでの朝に少し会えるだけ。とか、私が寝ているうちに戻ってきて気づいたら隣で寝ている。とか、ほとんど会話らしい会話もなくすれ違いの日々を過ごしている。そういうのもあって、少しの時間でも一緒に過ごそうとしてくれているんだと思うと、拒否することは出来ない。
パン屋へと向かう途中で昨日の紗月との電話の内容を話した。予想通り、なっちゃんのことでは悔しがっていたし、紗月の二人目のことでは喜んでいたし、私が妊娠したことを告げたら――――泣いていた。

「ゆらさ、なんでそんな大事なこと、こんな道端でするわけ?」

手渡したハンカチで涙をぬぐいながら恭介は言う。

「話しの流れ?」
「流れって……。そういう大事なことはもっと早く言うべきだろ」
「恭介、昨日帰ってこなかったじゃない」
「電話してくれてもいいじゃん。っていうか、しろよ」
「わざわざ電話で言うことでもないかなって思ったのよ」
「わざわざ電話してでも言うべきことだろ」
「――じゃあ、今度からそうする」

恭介は本当に嬉しそうにしていて、何度も貰ってきたエコー写真を眺めては、「なんだろう……すげぇ愛しく感じる。我が子パワー半端ないな」と、ニコニコして喜んでくれていた。
その姿を見る度に恭介は口には出さなかったけど、本当はずっと子どもが欲しかったのかもしれない……。と思った。